天鉄局NB運転区

国鉄天王寺鉄道管理局で活躍した車両の話題を中心に、鉄道模型(Nゲージ)とBトレインの話題なども記してゆきます。

オハネフ25-19

総本山からの荷物で組み立てたのは・・・。

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写真右のオハネフ25-19。

いうまでもなく、24系25形0番代の緩急車です。

先日発売された「はやぶさ」で製品化された車両のASSY組みです。

少し前にボディは手に入れていたのですが、床下が入手できず総本山のお世話になりました。

ついでに先日ボディを換装して余っていたナロネ22を復元すべく、下回りも入手。こちらは写真省略です。

オハネフ25 0番代で何をするかというと、寝台急行「銀河」の再現。

当初は24系に置き換えられた頃を再現しようと思っていましたが、当時の宮原区にはオハネ25-0しか配置されていなかったため、現状のKATOラインナップでは再現不可・・・。

急遽、100番代のハネが使用されていた末期の再現へと変更。

ちなみにカニはこれまた随分と以前に入手済み。

ロネは先日オロネ14を尾久回送バラで入手。実車でもオロネ14から改造(ほぼ外見変更なし)のオロネ24 100番代が宮原区に配置されています。

ハネ25 100番代は製品化されていますが現在では入手困難。そこでとりあえず入手したのが、これまた尾久回送にバラで出ていたオハネ15×2を入手。実写でもオハネ15改造のオハネ25 250番代 が2両存在しており、2両とも宮原区の配置でした。

そしてこれら3両はいずれも末期銀河に充当されています。

残りはKATO「富士増結セット」が入手できれば末期銀河の再現が可能なんですが、このセットも入手困難ですねぇ・・・。

殿様あさかぜ

最初に20系寝台客車が導入された「あさかぜ」は、東京駅発着の寝台特急の中で最後まで20系が使用されていました。(最末期は臨時列車の「あさかぜ81・82号が20系でした)

その「あさかぜ」の歴史の中でも、昭和47年~昭和50年に運行されていた「あさかぜ」は15両編成(電源車含む)中、6両がA寝台とグリーン車(ナロネ20×1、ナロネ22×3、ナロネ21×1、ナロ20×1)という豪華編成で、別名 ”殿様あさかぜ” とも呼ばれていました。

さて、KATOのリニューアルされた20系を導入(寝台急行「銀河」を組成)して、その造形に感激し、是非ともパンタ搭載のカニ22を擁する「さくら」を第2弾として導入しようと計画するも、初期ロットはエラー有の情報から、なかなか手頃な金額でエラーなしの「さくら」を見つけることができず、長く保留になっていました。

そうこうするうちに、この ”殿様あさかぜ” の編成が安く出品されているのを発見。早速落札。到着を楽しみにしていました。

・・・・・・・・が、到着してみると、なんと編成こそは ”殿様あさかぜ” ですが、KATOのセットではなく、20系基本セットに単品を追加して組成した ”殿様あさかぜ” でした。
車番のかぶりは良いとして、決定的NGなのは、単品のナロネ22がオリジナル車なのに対して、実際に ”殿様あさかぜ” で使用されていたのは専務車掌室取付改造をされた100番台だということ。
まぁ、雰囲気を楽しむかと思っていたところ、なんとASSYパーツでナロネ22 100番台のボディーが並んでいるではありませんか!

という訳で迷うまでもなく購入。ついでにナシ20 50番台のボディも売っていたので同時調達。これで手持ちのナシ20 2両にも変化が付けられます。

早速ナロネ22を100番台改造した写真がこちら。

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いずれも手前が100番台です。
上段の写真ではわかりにくいですが、一番右側の窓が専務車掌室。固定窓が上昇式の窓に変更されているのが表現されています。
下段の写真では窓が増えているのがわかりますね。

これで車番さえ気にしなければ、とりあえず ”殿様あさかぜ” の完成です。

ARC資料館(その後)

以前、ARC資料館というサイトについて記しました。

ef5866.hateblo.jp

 

膨大な編成資料を掲載したとても重宝なサイトでしたが、OCNのサービス終了により消えてしまいました。

このサイトが、どうやら今年の5月初旬から復活したようです。

新しいURLは下記のとおりです。

http://betsunoka.ec-net.jp/

 

暫定復活とのことですので、再び移転するかもしれませんが、とにかく重宝なサイトです。

天鉄局の機関車(昭和43年3月31日)

昭和43年3月31日の天王寺鉄道管理局管内の機関区に所属していた機関車の一覧です。(鉄道ファン参照)

《凡例》† 入換専用機、△第1種休車、▲第2種休車、§ 運転用以外使用車

 

この時代はまだ蒸気機関車が全盛ですね。

機関区 形式 番号
亀山
C11
△345        
11
C50
† 75 † 76      
2
C57
7 26 110 121 145
146 148 198    
8
C58
51 240 353    
3
145 302 693 750 759
1020        
6
DF50
3 4 5 6 7
14 15 16 22 23
24 25 26 29 30
31 32 34 35 36
37 38 39 40 49
53 63 64    
28
竜華
8620
† 28653 ▲ 68652 † 68657 † 78678 78680
5
9600
† 2642 † 19660      
2
C58
31 192 233 234 264
285 287 312 354 359
10
264 393 △ 452 497 627
841 879 906 1014 1045
10
DD13
186 187 195 196 197
198 202 208 213 250
251 264 377 378 379
15
ED60
2 3 4 △ 5 6
7 8      
7
EF52
1 2 3 4 5
6 7      
7
和歌山
C11
324        
1
8620
28677        
1
C50
△ 24 † 115 † 116    
3
C57
6 56 61 78 119
147        
6
C58
328 361      
2
新宮
C11
△ 126 † 279      
2
C58
89 118 141 189 205
209 265      
7
紀伊田辺
C50
† 17        
1
C58
28 32 ▲ 178 180 188
214 221 222 225 231
232 235 260 267 279
15
442 469 578 800 930
5
奈良
C11
156 158 175 344  
4
C12
§ 62        
1
8620
† 48635        
1
C58
66 120 135 190 191
329 352 355 357 358
10
211 253 403 654 669
691 832 835 882 885
934 940 1007 1013 1015
1054        
16

客車の基本常識(vol.2)

前回は国鉄客車の車体色について書きました。(って1年半ほど前・・・)

ef5866.hateblo.jp

 

今回は常識という内容とは離れてしまいますが、行きがかり上タイトルは同じ(爆

 

車体色や帯色の変遷について記しましたが、実際には施行日にいきなり一斉に色が変わるはずもなく、順次変更されたのは言うまでもありません。
但し、青大将色客車についてはセンセーショナルなデビューを飾りたかったためか、所定最低限の車輌は一斉に公開されたようですが、これについてはまた別の機会に・・・。

実際、1980年代になっても茶色の客車は存在していましたから、模型化するにあたっては「どの車輌がいつ茶色から青色に塗り替えになったか」という情報は結構重要な気がします。
いや、「気が・・・」ではなく「重要」です(きっぱり

とはいえ、きちっとした資料はほとんど無いようで、厳密にいつ塗り替えられたかは、ほとんどの車両でわからないようです。。。(ショボーン

ただ、青色率(青色車輌がどれくらい存在していたか)について、形式別、所属区別の資料はあるみたいなので、少なくともその時期には全て青色になっていたのか、全く青色になっていなかったのかはわかります。

資料提示をされているサイトから、青色化が100%完了しているケースと全く行われていない 0%のケースについて抜粋しておきたいと思います。(但し職用車及び救援車、配給車:ヤ・エ・ルは割愛。また10系以降の客車とグリーン車:ロはこの時期には原則として全車青15号化されているので割愛。)

個々の比率から類推して模型化の参考にされたいという方は、下記リンク先をご参照下さい。

客車の塗装色・等級帯について

 

下記表は、上記リンク先から抜粋したもので、数字は車両数です。
背景が青色は全車青15号となっている場合、背景が茶色は全車ぶどう色2号のままの場合を表しています。背景が白色の場合は両色が混在の場合で前の数字がぶどう色2号、後ろの数字が青15号の両数を表しています。

 

形式別

客車形式 昭和54年末 昭和57年末
スハ32 44両 0両
スハ33 10両 0両
オハ36 5両 / 22両 9両
スハ40 1両 / 11両 4両
オハ41 21両 4両
スハ45 47両 47両
オハ61 35両 2両
オハ62 42両 12両
オハ64 5両 5両
スハフ32 72両 6両
オハフ41 5両 3両
スハフ43 6両 3両
スハフ44 32両 32両
オハフ45 42両 40両
オハフ46 31両 31両
オハフ60 6両 0両
オハフ62 29両 4両
オハフ64 2両 2両
スハニ37 1両 0両
オハ二61 2両 0両
スハニ62 15両 3両
スハニ64 2両 0両
オハユニ61 18両 13両
スハユニ62 2両 1両
マニ35 6両 3両
マニ37   19両
マニ44 72両 161両
マニ50 152両 236両
マニ60 196両 55両
マニ61 17両 9両
スユニ50 41両 80両
スユニ60 34両 5両
スユニ61 65両 20両

 

今回はここまで。

次回は、所属区別の車両色を示しておきたいと思います。

昭和53年10月2日ダイヤ改正 その12(北オク)

「ゴーサントー」の特急用寝台客車の配置を記しています。

品川客車区、宮原客車区と見てきましたから、今度は東北方面に目を移してみましょう。

まずは尾久客車区です。

 

この改正では「北陸」「北星」が20系から14系での運用と変更となります。受け持ちの変更はなく尾久客車区のままです。余剰となった20系の大部分は宮原客車区と下関運転所に、一部が米子運転所と秋田運転所に転属してゆきます。宮原・米子転属組の一部はハザへの改造や12系との併結改造が行われました。

14系寝台車は本改正で尾久客車区には初めて配属され先述の通り「北陸」「北星」で運用開始となります。また「ゆうづる」1往復も尾久の14系となりました。

所属していた車両は下表の通りです。 

 

尾久客車区(北オク)

20系 ナロネ21
105 108 113 116 118 127 134 135 138 141
142 143 145 146 147          
15両
ナハネ20
24 26 28 30 34 35 37 38 41 42
46 88 91 110 149 206 208 209 210 211
212 221 222 223 224 225 226 244 246 248
303 307 308 310 315 316 317 318 319 321
344 345 346 347 348 349 350 351 352 353
355 356 357 358 361 362 363 364    
58両
ナハネフ22
1 19 23 24 505          
5両
ナハネフ23
5 6 11 12 18 20        
6両
ナハ21
1 2 3 4 5 6 7 8    
8両
カニ21
3 14 16              
3両
カヤ21
4 5 9 10 12 13 20 21 123  
9両
14系 オロネ14
8 9 10 11 12 13 14      
7両
オハネ14
55 58 59 60 61 62 63 64 65 66
67 68 69 70 71 72 73 74 75 76
77 78 79 80 81 82 83 84 85 86
87 88 89 90 91 92 93 94 95 96
97 98 99 100 101 102 103 104 105 106
50両
スハネフ14
28 29 30 31 32 33 34 35 36 37
38 39 40 41 42 43 44 45 46 47
48 49 50 51 52 53 54 103    
28両