天鉄局NB運転区

国鉄天王寺鉄道管理局で活躍した車両の話題を中心に、鉄道模型(Nゲージ)とBトレインの話題なども記してゆきます。

貴志川線1201形の編成

昭和36年南海電鉄に編入された貴志川線は、当初は和歌山鉄道が使用していた車両を継続使用していましたが、やがて南海車両に入れ替えてゆきます。

昭和46年8月には貴志川線の車両は1201形に統一され、平成7年まで活躍しました。この間、1201形は若干の入れ替えと、昭和51年から始まった3両運転のため電装解除された21201形1両が増備されます。(21201形は昭和63年まで活躍)

貴志川線の1201形は特に固定の編成はありませんでしたが、両運転台と偶数向き奇数向きの片運転台車両がありましたので、どんな組み合わせが実際にあったのか、検索して探してみました。

 

尚、貴志川線内では全車パンタグラフは貴志方に揃えられており、結果として奇数向き車両は貴志方、偶数向き車両は和歌山片で使用されます。

3両運転の際は、貴志方の1両のパンタグラフは畳んで運用していました。また21201形は3両運転のときのみ増結される貴志方向き先頭車です。
以上のルールを踏まえて、ネット上に散見される貴志川線1201形の編成例を見てみましょう。

 ←和歌山   貴志→

1201-1204-21201

1210-1204-1201

1201-1217

1234-1204

1210-1202

1203-1241

1218-1213

1201-1210 (1992.4.6)

1210-1202 (1995.4.15)

あんまり編成の組み合わせが分かる写真がないのですが、貴重な記事を見つけました。

 1201形は10両中8両使用して、2連4本で運用を回していました。基本的には片運同士2本、貴志側両運+和歌山側片運1本、貴志側片運+和歌山側両運1本、両運2両予備という使用形態で、片運車の入場時(1201形は1両単位で入場してました)に片運同士の編成1本のどちらかに両運車が入り、走ってる両運車が1両増えて万々歳ってとこでした。実際、後述の両運重連登場までは、両運重連は試運転で見ただけでした。

 幌付き前パンとなる両運車の貴志側が一番の狙いでしたが、このように通常では1/4の確率、貴志側片運車入場時のみやっと1/2の確率でした。ちなみに、21201がいた頃は、3連が2本いて(11両中10両使用!!)、これが貴志側撮影のメインである午前中は2本とも入ったお陰で(21201じゃない編成はパン下げクハ代用の1201形が貴志側に増結…)、前パン撮るだけでも2連単独が拝める朝か午後無理矢理アングルだけでした… ってことで、21201が落ちたとき、パン側撮りまくれるようなったので喜んだりしてました。^^;

 ところが、1201形終焉の1年くらい前から両運重連がちょこちょこ登場するようになり、そりゃもう狂喜乱舞で、天気と運用に合わせ通いまくりで、結局1201形事態の終焉が近づいたこともあり、この狂喜乱舞体制が最後まで続いたとさ!(笑)

 ちなみに、10両体制後の1201形運用は、2連単位で、朝4本(休日3本)、昼間2本(1本は午後編成交換)、夕方3本でした。

 

Kotokichi's 貴志川太郎

 この記事によると両運転台同士の2連運転というのは1201にMG取り付け以降、頻繁に見られるようになったということです。
つまり鉄コレVer.の1201なら両運2連アリということ。もはや「何でもあり」状態ですね。
ただ、昭和63年で貴志川線の3連運用は終了していますから、鉄コレVer.では3連運用はありません。

私の手元には21201種車がありますので、少なくとも2両の1201形は縦樋を撤去し、前照灯を1灯復元しなくてはなりませんね。