天鉄局NB運転区

国鉄天王寺鉄道管理局で活躍した車両の話題を中心に、鉄道模型(Nゲージ)とBトレインの話題なども記してゆきます。

紀勢本線 最後の客レ運用

ここしばらく、記事がカニ22を中心とした20系の話題、そして少し貴志川線の話題、という具合に「天鉄局」とはおよそ直接関係のない話題ばかりでしたので少し天王寺鉄道管理局関連の話題など・・・(苦笑

EF58牽引の定期列車として、また10系寝台客車連結の普通列車として注目を集めていた昭和60年頃の紀勢本線924レ、通称「はやたま」。
通称ではなくて寝台券発券の都合から列車愛称が付けられていたという話も聞いたような気もします・・・。

この列車は天王寺を夜に出発して紀勢本線を南下して早朝に新宮に到着。
特に釣りに出かける人達の利用が多かったので「釣り列車」とか「太公望列車」とも呼ばれていました。

私自身は客車列車時代には乗ることが出来ませんでしたが、165系に変更になった後、1度だけ新宮まで乗車したことがあります。

当区ではこの列車の再現も視野に入れており情報収集を続けております。

という訳で、現在までの成果を忘備録を兼ねて記載。

続きを読む

貴志川線1201形の編成

昭和36年南海電鉄に編入された貴志川線は、当初は和歌山鉄道が使用していた車両を継続使用していましたが、やがて南海車両に入れ替えてゆきます。

昭和46年8月には貴志川線の車両は1201形に統一され、平成7年まで活躍しました。この間、1201形は若干の入れ替えと、昭和51年から始まった3両運転のため電装解除された21201形1両が増備されます。(21201形は昭和63年まで活躍)

貴志川線の1201形は特に固定の編成はありませんでしたが、両運転台と偶数向き奇数向きの片運転台車両がありましたので、どんな組み合わせが実際にあったのか、検索して探してみました。

 

尚、貴志川線内では全車パンタグラフは貴志方に揃えられており、結果として奇数向き車両は貴志方、偶数向き車両は和歌山片で使用されます。

3両運転の際は、貴志方の1両のパンタグラフは畳んで運用していました。また21201形は3両運転のときのみ増結される貴志方向き先頭車です。
以上のルールを踏まえて、ネット上に散見される貴志川線1201形の編成例を見てみましょう。

続きを読む

寝台特急「安芸」24系時代の車番を検証する

KATOから24系のリニューアルが順次生産されています。
今度は「瀬戸・あさかぜ」が5月に発売ですね。

リニューアル品では形式も番台区分も増え、随分といろんな列車が組めるようになってきました。(とはいえ最近はセット売りだけなので好みの編成を組むのはなかなか大変ですが・・・)あとは24系25型のオハネ25-0が早く出ないかなぁ・・・。

それはさておき、旧製品時代はオハネ25-100、オハネフ25-100、カニ24-100、そしてオロネ25でしたから、正味これだけで組める編成は極めて少なかった・・・。

ゴハチ好きの私としては24系を牽引するゴハチを再現したかったのですが、ゴハチが先頭に立った関西ブルトレは軒並み25型0番代。

でもよくよく調べてみると「安芸」だけが、ゴハチ牽引でしかも全車25型100番代だったので、車両を揃えて組み上げたのは随分昔の話・・・。

 

編成が組み上がってめでたしめでたしだったのですが、最近客車の車番にも凝りだしたので、どうにもこれらの番号もなんとかしたいなと・・・。

で、例のごとく検証など。といっても、24系時代の安芸は極めて短命で昭和52年9月に20系から24系化され、翌年10月のダイヤ改正で廃止になったという経歴ですし、受け持ちは広島でしたから、当時の所属車両だけ調べれば複雑な検証など皆無というお手軽調査。

・・・と思っていたら、牽引するゴハチは[広]でしたが、ハコは下関でした(汗
という訳で、気を取り直してこの期間の下関所属の24系車両を・・・。

実は、昭和52年のダイヤ改正で「あさかぜ」下り1号・上り2号も20系から24系化され、基本編成は下関、付属編成は広島持ちでした。どうやら「瀬戸」も同じく24系化されたようです。

という訳で、広セキでは あさかぜ1往復、瀬戸1往復、安芸1往復を受け持っていました。あさかせ・瀬戸は共通運用で所要4、安芸は所要2です。

また、このダイヤ改正にあわせて広セキに配置された24系25型は全車100番代の新造車でした。

という訳で、昭和52年10月1日の広セキ所属24系車両は以下の通り。

オハネ25 オハネフ25 カニ24
153,154,155,156,157
158,159,160,161,172
173,174,175,176,177
178,179,180,181,182
183,184,185,188,189
190,191,192,193,201
202,203,204,205,206
207
130,131,132,133,134
135,141,142,143,144
146,147,148,149,154
155,156,157
101,102,103,104,105
106,107,108

って、カニ24-100は下関が初配置だったのですね。

客車の基本常識(vol.3)

今ではすっかり目にすることが無くなった客車列車。
ブルートレインと呼ばれた寝台特急が次々と廃止になり、その豪華版として登場したカシオペアトワイライトエクスプレスも廃止になりました。

国鉄末期に登場した「ジョイフルトレイン」は、どこにでも行けるように客車主体でしたが、その系譜を引き継ぐ列車は、JR九州の「ななつ星」を別として、JR東日本の「四季彩」もJR西日本の「トワイライト瑞風」も電車列車(発電用ディーゼル機関搭載)で誕生し、もはや自由に組成される客車列車を見る機会はほぼ失われました。

20系寝台車が登場するまでは、客車はほぼどの形式でも自由に組成されていましたが、しかし好き勝手に編成を組んで良いわけではなく、一定の決まりがありました。
つまり、”扉の位置” とか ”食堂車の向き” とか ”寝台車の向き” とかいちいち決まっていたのです。

これらについておさらいしておきたいと思います。(勿論国鉄の場合です)

 

旅客輸送基準規定には、”第4章旅客車 第2節列車の編成” がありその中で次のように定められています。

第31条
旅客車の方向及び列車の編成順序を定めるための各線の基準駅は、別表第1のとおりとし、基準駅に近い方向を基準寄り、遠い方向を基準反対寄りとする。

 別表第1では、路線ごとの基準駅が記されています。

東海道本線・・・神戸
東海道新幹線・・・新神戸
北陸本線・・・米原
高山本線・・・岐阜
中央本線・・・東京
山陽本線・・・門司
山陽新幹線・・・小倉
播但線・・・姫路
山陰本線・・・幡生
関西本線・・・名古屋
紀勢本線・・・亀山
東北本線・・・東京
東北新幹線・・・大宮
上越新幹線・・・大宮
常磐線・・・上野
高崎線・・・大宮
上越線・・・高崎
奥羽本線・・・福島
羽越本線・・・新津
信越本線・・・高崎
総武線・・・東京
予讃本線・・・宇和島
高徳本線・・・徳島
徳島本線・・・徳島
土讃本線・・・終端駅
鹿児島本線・・・鹿児島
鹿児島新幹線・・・博多
長崎本線・・・長崎
久大本線・・・大分
豊肥本線・・・大分
日豊本線・・・鹿児島
筑豊本線・・・若松
函館本線・・・函館
室蘭本線・・・長万部
日高本線・・・分岐駅
留萌本線・・・終端駅
根室本線・・・滝川
宗谷本線・・・旭川
名寄本線・・・遠軽
石北本線・・・新旭川遠軽新旭川 遠軽~網走:網走
繊毛本線・・・東釧路

昭和41年の法令ですから、現在は存在しない路線や、逆にこの表に記載のない路線もあります。開業間もない東海道新幹線はともかくとして、東北新幹線上越新幹線、はては鹿児島新幹線なんて記載があるのを「?」と思った方もいるかもしれませんが「整備新幹線計画」というのがありまして、つまりこの時点でそういう路線が計画されていたからなのでしょう。

で、具体的に車両のどっちを「基準寄り」向きにするかを、第32条で定めています。

32条
旅客車の定位は、原則として、次の各号に定める側を基準寄りの方向に置くものとする。
(1)A寝台車…出入台のある側。但し特急用車両は出入台の無い側。
(2)特別車…片出入台の車両は出入台のある側。但し、特急用車両は出入台の無い側、
両出入台の車両は洗面所のある側又は運転室のある車両は運転室のある側。
(3)A寝台緩急車…車掌室のある側
(4)特別緩急車…車掌室のある側
(5)B寝台車…出入台のある側。但し特急用車両は出入台の無い側。
(6)普通車…片出入台の車両は出入台のある側。但しナハ20スハ44及びスハフ43形式車は出入台の無い側。
両出入台の車両は洗面所のある側。
(7)B寝台緩急車…車掌室の無い側
(8)普通緩急車…車掌室の無い側
(9)食堂車…料理室の無い側
(10)A寝台とB寝台との合造車…A寝台のある側
(11)特別室と普通室との合造車…特別室のある側
(12)食堂と客室との合造車…食堂のある側
(13)客室と荷物室との合造車…荷物室のある側
(14)客室と郵便室との合造車…郵便室のある側
(15)客室と荷物室と郵便室との合造車…荷物室のある側
(16)前各号以外の旅客車…任意

こういう決まりに従って、たとえば特急「つばめ」の下り列車ではスハ44は後位側に、スロ60やナハ10は前位側に出入り口が来るように編成されるのです。

実はナロ20はどちら向きに連結するのか考えていたわけですが(一応模型の座席表現は出入口方向を前位にしている)やはり出入口が(下り列車で仕立てる場合)前位で良かったのですね。

あと2両・・・

先日UPした南海1201形ですが、4両増備しました(笑

f:id:ef5866:20180307220512j:plain

ご覧のように全8両となりました。

1201形が余生を過ごした貴志川線には10両が配置されて活躍していましたからあと2両入手できれば一応コンプリートです。 

続きを読む

寝台特急あさかぜ(20系時代)

「あさかぜ」といえば、最初に20系寝台客車が導入された列車であり、同時に最後まで20系客車が使用された寝台特急列車でした。

私は既に定期運用からは離脱して、臨時列車「あさかぜ51/52号(のちにあさかぜ81/82号)」として運用されていた時代しかしりませんが、14系や24系と比べて「優雅だなぁ」とデザインに見入っていた記憶があります。

f:id:ef5866:20180307213553j:plain

写真:あさかぜ82号(1987年8月 東京駅)

 この時は既に品川に20系の姿はなく、下関の20系を用いた臨時列車だったと思います。牽引機も下関のEF65PFだったかと。
当時はカマの撮影に凝っていて、普段目にすることの無い ”関ガマ” が来るからと、臨時あさかぜを撮影ました。

さて、話がそれましたが、一番長く20系車両で運行されてきた寝台特急「あさかぜ」の編成履歴を見てゆきたいと思います。

続きを読む

カニ22時代の品川区20系車番を検証する

さて、カニ22の(品川区配属時の)運用状況が大体わかってきた時点で、模型化に際して車番が気になります。
いままでほとんど気にしてこなかった車番ですが、これだけメーカーがセットで車番を分けて組み込んでくると気になりだしますね(笑

当方の目論見としては、今後パンタ撤去のカニ22編成を導入したいという思惑があるので、昭和40年10月~昭和43年6月の所属車両を見るのが妥当ですね。

ただパンタ撤去編成が入手できるまでは「さくら」として運用したい気もありますし、なんなら「あさかぜ」運用も捨てがたい。

ということで、カニ22が登場した昭和35年から昭和43年までの品川区所属の20系車両について検証してみたいと思います。

続きを読む