天鉄局NB運転区

国鉄天王寺鉄道管理局で活躍した車両の話題を中心に、鉄道模型(Nゲージ)とBトレインの話題なども記してゆきます。

KATOから「はやたま」発売の可能性

KATOから、夜行鈍行列車「山陰」のセットが発売されることになったのは皆様ご存知と思います。

夜行普通(鈍行)列車に愛称がつくようになったのは、KATOのサイトにも記載があるように、寝台券の予約をマルスシステムで行うようにするために必要だったからです。

​愛称を持った普通列車

新幹線を軸とした高速列車整備網が進められ、特急・急行列車の大増発が行われたほか高速バスの普及などもあり、ダイヤ改正の都度、急行列車への格上げや運行距離の短縮化などが行われて長距離普通列車の数は年々数を減らしていきます。昭和43年(1968)10月改正時点で、寝台車を連結する普通列車は全国5往復を残すのみとなりました。

函館本線根室本線 423/424列車  -後の「からまつ」

関西本線紀勢本線阪和線 921/926列車  -後の「南紀」→「はやたま」

山陰本線 829・826列車     -後の「山陰」

鹿児島本線長崎本線佐世保本線 1421/1422列車      -後の「ながさき」

日豊本線 521/522列車   -後に急行「日南」に格上げ

​B寝台車(2度の称号規定改正により3等寝台から2等寝台を経て改称)が連結されたこれらの普通列車列車番号のみで認識されていましたが、寝台券を全国の「みどりの窓口」で予約・発券ができるようマルスシステム(座席指定券の発券システム・MARS)に組み込むため、昭和50年(1975)前後に各列車に愛称が与えられました。

これらの列車は周遊券や「青春18のびのびきっぷ(昭和58年以降は『青春18きっぷ』)」で乗車できるため、若者たちの旅行でも重宝されました。また、翌朝には現地に到着できるという利点から、B寝台はビジネスマンにとってもありがたい存在でした。

この5往復の鈍行列車の中に、今回KATOが製品化する「山陰」があり、そして天鉄局を走る「はやたま」もあるのです。

 

さて、標題の『KATOから「はやたま」発売の可能性』ですが、まずは実際にどんな編成が組まれていたのか見てみましょう。

私が情報収集して手元にある編成はこんな感じです。

 

S52(1977).3.24

オハネフ12-68 オハネ12-58 ナハフ10-17 ナハ10-101 ナハ10-102 ナハフ10-13 スユニ61-24 オハフ33-169
天シク 天シク 天リウ 天リウ 天リウ 天リウ 天リウ 天カメ

 

S55(1980).8.7

オハネフ12-49 オハネフ12-55 ナハフ10-13 オハ47-308 オハ47-7 オハフ33-333 スユニ61-102 オハフ33-169
天シク 天シク 天リウ 天リウ 天リウ 天リウ 天リウ 天リウ

 

S56(1981).2.17

オハネフ12-49 オハネフ12-55 オハフ33-368 オハ46-395 オハ47-7 オハフ33-7 ナハフ10-1 スユニ61-102 
天シク 天シク 天リウ 天リウ 天リウ 天リウ 天カメ 天シク

 

S58(1983).4.1

オハネフ12-2094 オハネフ12-2076 オハフ33-2623 オハ47-2211 オハ47-2149 オハフ33-2351 スユニ50-2060

 

左が天王寺・名古屋、右が新宮・亀山です。この列車は亀山駅で進行方向が逆転しますので、こういう表記になります。

寝台車は天王寺~新宮の連結。荷物車は和歌山~亀山の連結(和歌山市~和歌山を運行して連結)だったと思います。

 

これらの編成記録から「はやたま」の編成を単純化すると、ハネ、ハ、ユニの3車種で構成することになります。

この頃、天鉄局に所属していた寝台車(ハネ)はオハネ12、オハネフ12。普通座席車(ハ)の旧客はナハ10,オハ46,オハ47、ナハフ10、オハフ33、スハフ42、オハフ45、ユニはスユニ60、スユニ61、スユニ50といったところでしょうか。

これまでにKATOから発売された車両では、

オハネ12、オハネフ12 単品発売あり

ナハ10、ナハフ10 「日南3号」セット

オハ46,オハ47、オハフ33、スハフ42、オハフ45 単品発売あり

スユニ60 「旧型客車4両セット(茶)」

スユニ61 単品発売あり

スユニ50 単品発売予定

ということで、目玉に出来そうな車両はちょっと見当たらないですね。

電暖非対応(+2000改造されていない)オハネフ12があったかどうかくらいでしょうか。

一方で牽引機については、EF58の超人気カマだった66号機や、39号機、42号機、99号機など特徴的なゴハチが何両か、また非電化区間で牽引したDF50のフィルターカバーを外した車両など、製品化するに魅力ある車両があるように感じます。特にあれだけゴハチのバリエーションを出しているKATOですが、旧製品も含めてなぜか66号機の仕様になるものは製品化されていませんね。

DF50もホビセンパーツでフィルターを外した仕様などにはできましたが、これも製品化しても面白そうです。14系寝台車を再生産して「いなば・紀伊」として発売しても購買層はいるかも。

 

というわけで、「山陰」につづいて「はやたま」の製品化、どうでしょうか??