このブログで所有車両の紹介も行うことを考えていましたし、実際に(わずかながら)紹介もしていますが、自身のコレクションを紹介することに特化したサイトが合ったので登録してみました。
今後も引き続きこのサイトでも所属車両の紹介は続けますが、新入線車両とか、改造記事が中心になると思います。
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先月、287系(くろしお)の付属編成が入線したと書きました。
この編成は動力車が入っていないので、当然自力走行できません。
そもそも、国鉄型車両を中心に導入している当管理局としては JR西日本 になって登場したこの車両は入線する可能性が極めて低い車種でした。
(これを入線させるなら381系の方が可能性が高い)
しかし、何を血迷ったのか287系の、それも ”付属編成” のみが入線して、どうしたものかと思っていたら、こちらのアナウンスが(笑
[鉄道模型]カトー KATO (Nゲージ) 10-1506 287系 パンダくろしお「Smileアドベンチャートレイン」 6両セット [カトー 10-1506 287ケイ パンダクロシオ 6R]【返品種別B】
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普通の287系の導入はちょっとどうするか考えていましたが、まぁこれなら入線させるかなと(苦笑
幸か不幸か、パンダ仕様の付属編成はありませんので、多客期には当局導入済みの付属編成が必要となるということで・・・。
ついでなので、実車の写真も貼っておきます。
少し前のニュースですが、和歌山線・桜井線に227系電車が投入されるとアナウンスがありましたね。
227系はいまさら言うまでもないですがJR西日本広島地区の老朽化車両の置き換えに開発された形式です。225系などの技術を盛り込みながら、輸送量にあわせて2両編成または3両編成で組成され、最大8両編成まで構成できるのが特徴です。
広島地区のみで活躍をしていましたが、今回和歌山地区に導入されることが明らかになりました。
現時点で判明している、広島地区で活躍する車両と異なる点は
・緑を基調としたカラーリング
・転換クロスシートではなくオールロングシート
・ICOCA対応の車載型IC改札機を搭載
といったところでしょうか。
この車載型IC改札機というのが非常に興味深いところで、同様のタイプを和歌山電鐵貴志川線などに導入すれば、もっと便利になるのではないかということ。
KATOから キハ81系「くろしお」は随分以前に発売されており、当鉄道局にも配備されております。
KATOのキハ81系は「くろしお」発売より前に、レジェンドコレクションとして「はつかり」が発売されていましたが、今回「いなほ・つばさ」が発売になるようです。同時に、キサシ80からの改造車キシ80-900番代と、キロ80の先頭車改造車キハ82-900番代も発売されます。
詳しい方はご存知の通り、キハ81は最初「はつかり」に充当され「はつかり」の電車化に伴い約1年間「つばさ」に充当された後は、尾久から秋田に転属となり新設された特急「つばさ」と、その間合い運用で新設された特急「ひたち」に充当されます。そして昭和47年の両列車電車化に伴い、キハ81は全車和歌山に転属となり「くろしお」に充当されその生涯を終えることとなります。
一方、「くろしお」は昭和40年に新設された特急で、キハ82を用いて運転を開始しています。利用者は年々増加し運行本数も増えますが、付属編成の増結数も増加し、昭和47年にキハ81等の転属により両数をまかなうこととなったようです。
このキハ81が転属してくる少し前、僅か1年半程度の期間ではありましたが、キハ82-900番代が所属していたことがあります。そこで、現行のキハ81「くろしお」セットの車両とキハ82-900番代で、車番の整合性がとれて編成が組めるのか検証してみたいと思います。
まず、KATOから発売されるキハ82-900ですが、サイト情報によるとキハ82-901という車番のようです。和歌山機関区に転属してきたのはキハ82-902ですので、まぁ車番違いと言ってしまえばそれまでなんですが、ここは目をつぶることにします(苦笑
※新製品 7月発売※キハ82 900 【KATO・6068】「鉄道模型 Nゲージ カトー」
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さて、キハ82-902の和歌山機関区所属時期は昭和45年9月22日付で鹿児島から転属してきて、昭和47年3月6日付で秋田に転属するまでの期間です。
ちなみにキハ81形の全6両が秋田から和歌山に転属してくるのは昭和47年10月1日付。つまり秋田では一緒に仕業に就いていた可能性はありますね。
キハ82-902の転入から転出の期間に和歌山機関区のキハ82系気動車の移動は一切ありませんから、転入時(転出時)の所属車両を調べればよいということになります。*1
キハ82 |
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19両 | ||||||||||||||||||||||||||||||
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キハ80 |
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25両 | ||||||||||||||||||||||||||||||
キロ80 |
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12両 | ||||||||||||||||||||||||||||||
キシ80 |
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9両 |
上記表の赤文字は、KATOの「くろしお」セット(基本・増結)に含まれる車両です。両セットで10両編成ですが8両が該当していることから、両先頭車となるキハ81-3とキハ81-5以外は全て在籍車両ということになります。
ではこの時期に組まれていた編成ですが、2種類ありました。
天王寺~名古屋(←亀山)
キハ82-キロ80-キロ80-キシ80-キハ80-キハ80-キハ82
天王寺~紀伊勝浦・新宮
キハ82-キロ80-キシ80-キハ80-キハ80-キハ80-キハ82
天王寺~名古屋を通し運転するキロが2両(亀山で進行方向が変わるため、天王寺・名古屋いずれも出発時は左側が先頭)という7両編成が2本と、天王寺から新宮折返しのキロが1両という7両編成が5本組成されていたようです。*2
キハ82-901とキハ82-902の違いがあったのかは不明ですが、両者とも大宮工場で改造されており仕様に大きな違いはなかったのではないでしょうか。*3
以上から、KATOから発売される 6068「キハ82 900」の車番のみ変更すれば、くろしおに組み込んでも問題なさそうです。
ここしばらく、記事がカニ22を中心とした20系の話題、そして少し貴志川線の話題、という具合に「天鉄局」とはおよそ直接関係のない話題ばかりでしたので少し天王寺鉄道管理局関連の話題など・・・(苦笑
EF58牽引の定期列車として、また10系寝台客車連結の普通列車として注目を集めていた昭和60年頃の紀勢本線924レ、通称「はやたま」。
通称ではなくて寝台券発券の都合から列車愛称が付けられていたという話も聞いたような気もします・・・。
この列車は天王寺を夜に出発して紀勢本線を南下して早朝に新宮に到着。
特に釣りに出かける人達の利用が多かったので「釣り列車」とか「太公望列車」とも呼ばれていました。
私自身は客車列車時代には乗ることが出来ませんでしたが、165系に変更になった後、1度だけ新宮まで乗車したことがあります。
当区ではこの列車の再現も視野に入れており情報収集を続けております。
という訳で、現在までの成果を忘備録を兼ねて記載。
続きを読む昭和36年に南海電鉄に編入された貴志川線は、当初は和歌山鉄道が使用していた車両を継続使用していましたが、やがて南海車両に入れ替えてゆきます。
昭和46年8月には貴志川線の車両は1201形に統一され、平成7年まで活躍しました。この間、1201形は若干の入れ替えと、昭和51年から始まった3両運転のため電装解除された21201形1両が増備されます。(21201形は昭和63年まで活躍)
貴志川線の1201形は特に固定の編成はありませんでしたが、両運転台と偶数向き奇数向きの片運転台車両がありましたので、どんな組み合わせが実際にあったのか、検索して探してみました。
尚、貴志川線内では全車パンタグラフは貴志方に揃えられており、結果として奇数向き車両は貴志方、偶数向き車両は和歌山片で使用されます。
3両運転の際は、貴志方の1両のパンタグラフは畳んで運用していました。また21201形は3両運転のときのみ増結される貴志方向き先頭車です。
以上のルールを踏まえて、ネット上に散見される貴志川線1201形の編成例を見てみましょう。
KATOから24系のリニューアルが順次生産されています。
今度は「瀬戸・あさかぜ」が5月に発売ですね。
リニューアル品では形式も番台区分も増え、随分といろんな列車が組めるようになってきました。(とはいえ最近はセット売りだけなので好みの編成を組むのはなかなか大変ですが・・・)あとは24系25型のオハネ25-0が早く出ないかなぁ・・・。
それはさておき、旧製品時代はオハネ25-100、オハネフ25-100、カニ24-100、そしてオロネ25でしたから、正味これだけで組める編成は極めて少なかった・・・。
ゴハチ好きの私としては24系を牽引するゴハチを再現したかったのですが、ゴハチが先頭に立った関西ブルトレは軒並み25型0番代。
でもよくよく調べてみると「安芸」だけが、ゴハチ牽引でしかも全車25型100番代だったので、車両を揃えて組み上げたのは随分昔の話・・・。
編成が組み上がってめでたしめでたしだったのですが、最近客車の車番にも凝りだしたので、どうにもこれらの番号もなんとかしたいなと・・・。
で、例のごとく検証など。といっても、24系時代の安芸は極めて短命で昭和52年9月に20系から24系化され、翌年10月のダイヤ改正で廃止になったという経歴ですし、受け持ちは広島でしたから、当時の所属車両だけ調べれば複雑な検証など皆無というお手軽調査。
・・・と思っていたら、牽引するゴハチは[広]でしたが、ハコは下関でした(汗
という訳で、気を取り直してこの期間の下関所属の24系車両を・・・。
実は、昭和52年のダイヤ改正で「あさかぜ」下り1号・上り2号も20系から24系化され、基本編成は下関、付属編成は広島持ちでした。どうやら「瀬戸」も同じく24系化されたようです。
という訳で、広セキでは あさかぜ1往復、瀬戸1往復、安芸1往復を受け持っていました。あさかせ・瀬戸は共通運用で所要4、安芸は所要2です。
また、このダイヤ改正にあわせて広セキに配置された24系25型は全車100番代の新造車でした。
という訳で、昭和52年10月1日の広セキ所属24系車両は以下の通り。
オハネ25 | オハネフ25 | カニ24 |
---|---|---|
153,154,155,156,157 158,159,160,161,172 173,174,175,176,177 178,179,180,181,182 183,184,185,188,189 190,191,192,193,201 202,203,204,205,206 207 |
130,131,132,133,134 135,141,142,143,144 146,147,148,149,154 155,156,157 |
101,102,103,104,105 106,107,108 |
って、カニ24-100は下関が初配置だったのですね。