天鉄局NB運転区

国鉄天王寺鉄道管理局で活躍した車両の話題を中心に、鉄道模型(Nゲージ)とBトレインの話題なども記してゆきます。

青大将色客車の登場

竜華機関区のゴハチで最も人気があったのは、言わずとしれた66号機。
大窓ヒサシ付きのスタイルが人気の理由でした。
晩年のゴハチで大窓だったのは東の61号機と西の66号機でしたから、さもありなんです。

そんな66号機ですが、青大将色を纏って活躍した時期がありました。
今回は、青大将色について考察してみたいと思います。

いわゆる「青大将」と呼ばれる(というより、後年その様に呼ばれるようになった)塗色は昭和31年11月19日の東海道本線全線電化を記念して登場しました。
この ”新塗装” による車両は極秘に準備をされていたようで、東海道本線の全線電化を衝撃的に広報する大きな役割を果たしたようですが、その影では大変な苦労があったであろうと想像されます。

電化開業日の上り下りの「つばめ」2列車が、綺麗に揃った青大将塗色の編成で運行されました。華々しくデビューを飾ったわけですが、前述の通りこの編成は極秘に準備されていました。
特急「つばめ」はその前日まで運休することなく通常通り運行されていましたから、当然予備車などを駆使して徐々に準備していったと想像されます。さすがに2編成を1晩で塗り替えることは不可能ですから。

最終的には「つばめ」「はと」「さくら」が青大将塗色で運行されましたから、それなりの両数の車両が塗替えされました。

 

さて、模型の世界に目を移しますと青大将の車両は古くから発売されています。
Nゲージに限ってみても、随分以前にKATO(当時は関水金属)から発売されていました。近年、リニューアルされて発売されていますが、両者は色が異なります。
古い製品は少し色合いが薄いようです。

この 青大将 の色については、下記リンク先の考察があるので参考にしてください。 

青大将の色の謎に迫る:クマネット:鉄道模型

結論から言うと、KATOの旧製品は 青大将色 の思い違いによるもので、現行製品の色がおおよそ正しいだろうということです。

さて、色合いがわかってきたところで、模型化に際して次に気になるのは、一体どの車両が、いつ頃から青大将塗色に変更され、そしていつ頃に元の塗色(または青大将とは異なる新色)に変更されたのかということです。

いろいろな情報から明らかになっているのは、青大将塗色の車両は東海道本線全線電化完了の開業初日、昭和31年11月19日に鮮烈にデビュー(つまりその前日まで全く極秘に準備が進められていた)したとされていますから、この日以前に当該車両が運用されたことはありません。
終わりについては、「つばめ」が客車列車(勿論青大将塗色)から電車列車に置き換えられた昭和35年5月30日までは列車として運用があったことは明らかで、この時期までは一定数の車両が青大将で活躍していたことがわかります。

という訳で、次回より、青大将塗色に変更されていた時期について検証してゆきたいと思います。

所属車両の紹介

このブログで所有車両の紹介も行うことを考えていましたし、実際に(わずかながら)紹介もしていますが、自身のコレクションを紹介することに特化したサイトが合ったので登録してみました。

muuseo.com

今後も引き続きこのサイトでも所属車両の紹介は続けますが、新入線車両とか、改造記事が中心になると思います。

怪我の功名(?)

先月、287系(くろしお)の付属編成が入線したと書きました。

ef5866.hateblo.jp

 

この編成は動力車が入っていないので、当然自力走行できません。

そもそも、国鉄型車両を中心に導入している当管理局としては JR西日本 になって登場したこの車両は入線する可能性が極めて低い車種でした。
(これを入線させるなら381系の方が可能性が高い)

しかし、何を血迷ったのか287系の、それも ”付属編成” のみが入線して、どうしたものかと思っていたら、こちらのアナウンスが(笑

 

 

 普通の287系の導入はちょっとどうするか考えていましたが、まぁこれなら入線させるかなと(苦笑

幸か不幸か、パンダ仕様の付属編成はありませんので、多客期には当局導入済みの付属編成が必要となるということで・・・。

ついでなので、実車の写真も貼っておきます。

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和歌山線・桜井線に227系導入

少し前のニュースですが、和歌山線・桜井線に227系電車が投入されるとアナウンスがありましたね。

news.mynavi.jp

227系はいまさら言うまでもないですがJR西日本広島地区の老朽化車両の置き換えに開発された形式です。225系などの技術を盛り込みながら、輸送量にあわせて2両編成または3両編成で組成され、最大8両編成まで構成できるのが特徴です。

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広島地区のみで活躍をしていましたが、今回和歌山地区に導入されることが明らかになりました。
現時点で判明している、広島地区で活躍する車両と異なる点は
・緑を基調としたカラーリング
・転換クロスシートではなくオールロングシート
ICOCA対応の車載型IC改札機を搭載
といったところでしょうか。

この車載型IC改札機というのが非常に興味深いところで、同様のタイプを和歌山電鐵貴志川線などに導入すれば、もっと便利になるのではないかということ。

2020年春までには、和歌山線・桜井線で活躍する105系117系を2両編成28本で全て置き換える予定だそうです。

特急「くろしお」のキハ82-900番代

KATOから キハ81系「くろしお」は随分以前に発売されており、当鉄道局にも配備されております。

KATOのキハ81系は「くろしお」発売より前に、レジェンドコレクションとして「はつかり」が発売されていましたが、今回「いなほ・つばさ」が発売になるようです。同時に、キサシ80からの改造車キシ80-900番代と、キロ80の先頭車改造車キハ82-900番代も発売されます。

詳しい方はご存知の通り、キハ81は最初「はつかり」に充当され「はつかり」の電車化に伴い約1年間「つばさ」に充当された後は、尾久から秋田に転属となり新設された特急「つばさ」と、その間合い運用で新設された特急「ひたち」に充当されます。そして昭和47年の両列車電車化に伴い、キハ81は全車和歌山に転属となり「くろしお」に充当されその生涯を終えることとなります。

一方、「くろしお」は昭和40年に新設された特急で、キハ82を用いて運転を開始しています。利用者は年々増加し運行本数も増えますが、付属編成の増結数も増加し、昭和47年にキハ81等の転属により両数をまかなうこととなったようです。

このキハ81が転属してくる少し前、僅か1年半程度の期間ではありましたが、キハ82-900番代が所属していたことがあります。そこで、現行のキハ81「くろしお」セットの車両とキハ82-900番代で、車番の整合性がとれて編成が組めるのか検証してみたいと思います。

まず、KATOから発売されるキハ82-900ですが、サイト情報によるとキハ82-901という車番のようです。和歌山機関区に転属してきたのはキハ82-902ですので、まぁ車番違いと言ってしまえばそれまでなんですが、ここは目をつぶることにします(苦笑

車番はキハ82-901の模様

 

さて、キハ82-902の和歌山機関区所属時期は昭和45年9月22日付で鹿児島から転属してきて、昭和47年3月6日付で秋田に転属するまでの期間です。
ちなみにキハ81形の全6両が秋田から和歌山に転属してくるのは昭和47年10月1日付。つまり秋田では一緒に仕業に就いていた可能性はありますね。

キハ82-902の転入から転出の期間に和歌山機関区のキハ82系気動車の移動は一切ありませんから、転入時(転出時)の所属車両を調べればよいということになります。*1

 

キハ82
  2   3   8  26  27  28  30  31  32  42
65  72  73  74  75  76  77  99 902  
19両
キハ80
 13  14  15  42  43  44  45  46  48  49
 50  51  52  60  61 102 103 104 113 114
115 116 117 118 142          
25両
キロ80
21 22 23 24 27 43 44 45 46 47
59 60                
12両
キシ80
3 6 17 22 24 30 32 33 34  
9両

 

上記表の赤文字は、KATOの「くろしお」セット(基本・増結)に含まれる車両です。両セットで10両編成ですが8両が該当していることから、両先頭車となるキハ81-3とキハ81-5以外は全て在籍車両ということになります。

ではこの時期に組まれていた編成ですが、2種類ありました。

天王寺~名古屋(←亀山)
 キハ82-キロ80-キロ80-キシ80-キハ80-キハ80-キハ82

天王寺紀伊勝浦・新宮
 キハ82-キロ80-キシ80-キハ80-キハ80-キハ80-キハ82

天王寺~名古屋を通し運転するキロが2両(亀山で進行方向が変わるため、天王寺・名古屋いずれも出発時は左側が先頭)という7両編成が2本と、天王寺から新宮折返しのキロが1両という7両編成が5本組成されていたようです。*2

キハ82-901とキハ82-902の違いがあったのかは不明ですが、両者とも大宮工場で改造されており仕様に大きな違いはなかったのではないでしょうか。*3

以上から、KATOから発売される 6068「キハ82 900」の車番のみ変更すれば、くろしおに組み込んでも問題なさそうです。

*1:ちなみにキハ82-902と一緒に鹿児島から転属してきたのはキロ80-24とキシ80-17。キハ82-902の転出時は他の車両なし。

*2:予備車としてキハ82×1、キロ80×1、キシ80×1

*3:但し改造時期が901は昭和43年12月9日付でキロ80-1から改造されているのに対し、902は昭和45年2月28日付でキロ80-5から改造されている。

紀勢本線 最後の客レ運用

ここしばらく、記事がカニ22を中心とした20系の話題、そして少し貴志川線の話題、という具合に「天鉄局」とはおよそ直接関係のない話題ばかりでしたので少し天王寺鉄道管理局関連の話題など・・・(苦笑

EF58牽引の定期列車として、また10系寝台客車連結の普通列車として注目を集めていた昭和60年頃の紀勢本線924レ、通称「はやたま」。
通称ではなくて寝台券発券の都合から列車愛称が付けられていたという話も聞いたような気もします・・・。

この列車は天王寺を夜に出発して紀勢本線を南下して早朝に新宮に到着。
特に釣りに出かける人達の利用が多かったので「釣り列車」とか「太公望列車」とも呼ばれていました。

私自身は客車列車時代には乗ることが出来ませんでしたが、165系に変更になった後、1度だけ新宮まで乗車したことがあります。

当区ではこの列車の再現も視野に入れており情報収集を続けております。

という訳で、現在までの成果を忘備録を兼ねて記載。

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貴志川線1201形の編成

昭和36年南海電鉄に編入された貴志川線は、当初は和歌山鉄道が使用していた車両を継続使用していましたが、やがて南海車両に入れ替えてゆきます。

昭和46年8月には貴志川線の車両は1201形に統一され、平成7年まで活躍しました。この間、1201形は若干の入れ替えと、昭和51年から始まった3両運転のため電装解除された21201形1両が増備されます。(21201形は昭和63年まで活躍)

貴志川線の1201形は特に固定の編成はありませんでしたが、両運転台と偶数向き奇数向きの片運転台車両がありましたので、どんな組み合わせが実際にあったのか、検索して探してみました。

 

尚、貴志川線内では全車パンタグラフは貴志方に揃えられており、結果として奇数向き車両は貴志方、偶数向き車両は和歌山片で使用されます。

3両運転の際は、貴志方の1両のパンタグラフは畳んで運用していました。また21201形は3両運転のときのみ増結される貴志方向き先頭車です。
以上のルールを踏まえて、ネット上に散見される貴志川線1201形の編成例を見てみましょう。

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