天鉄局NB運転区

国鉄天王寺鉄道管理局で活躍した車両の話題を中心に、鉄道模型(Nゲージ)とBトレインの話題なども記してゆきます。

寝台特急「安芸」24系時代の車番を検証する

KATOから24系のリニューアルが順次生産されています。
今度は「瀬戸・あさかぜ」が5月に発売ですね。

リニューアル品では形式も番台区分も増え、随分といろんな列車が組めるようになってきました。(とはいえ最近はセット売りだけなので好みの編成を組むのはなかなか大変ですが・・・)あとは24系25型のオハネ25-0が早く出ないかなぁ・・・。

それはさておき、旧製品時代はオハネ25-100、オハネフ25-100、カニ24-100、そしてオロネ25でしたから、正味これだけで組める編成は極めて少なかった・・・。

ゴハチ好きの私としては24系を牽引するゴハチを再現したかったのですが、ゴハチが先頭に立った関西ブルトレは軒並み25型0番代。

でもよくよく調べてみると「安芸」だけが、ゴハチ牽引でしかも全車25型100番代だったので、車両を揃えて組み上げたのは随分昔の話・・・。

 

編成が組み上がってめでたしめでたしだったのですが、最近客車の車番にも凝りだしたので、どうにもこれらの番号もなんとかしたいなと・・・。

で、例のごとく検証など。といっても、24系時代の安芸は極めて短命で昭和52年9月に20系から24系化され、翌年10月のダイヤ改正で廃止になったという経歴ですし、受け持ちは広島でしたから、当時の所属車両だけ調べれば複雑な検証など皆無というお手軽調査。

・・・と思っていたら、牽引するゴハチは[広]でしたが、ハコは下関でした(汗
という訳で、気を取り直してこの期間の下関所属の24系車両を・・・。

実は、昭和52年のダイヤ改正で「あさかぜ」下り1号・上り2号も20系から24系化され、基本編成は下関、付属編成は広島持ちでした。どうやら「瀬戸」も同じく24系化されたようです。

という訳で、広セキでは あさかぜ1往復、瀬戸1往復、安芸1往復を受け持っていました。あさかせ・瀬戸は共通運用で所要4、安芸は所要2です。

また、このダイヤ改正にあわせて広セキに配置された24系25型は全車100番代の新造車でした。

という訳で、昭和52年10月1日の広セキ所属24系車両は以下の通り。

オハネ25 オハネフ25 カニ24
153,154,155,156,157
158,159,160,161,172
173,174,175,176,177
178,179,180,181,182
183,184,185,188,189
190,191,192,193,201
202,203,204,205,206
207
130,131,132,133,134
135,141,142,143,144
146,147,148,149,154
155,156,157
101,102,103,104,105
106,107,108

って、カニ24-100は下関が初配置だったのですね。

客車の基本常識(vol.3)

今ではすっかり目にすることが無くなった客車列車。
ブルートレインと呼ばれた寝台特急が次々と廃止になり、その豪華版として登場したカシオペアトワイライトエクスプレスも廃止になりました。

国鉄末期に登場した「ジョイフルトレイン」は、どこにでも行けるように客車主体でしたが、その系譜を引き継ぐ列車は、JR九州の「ななつ星」を別として、JR東日本の「四季彩」もJR西日本の「トワイライト瑞風」も電車列車(発電用ディーゼル機関搭載)で誕生し、もはや自由に組成される客車列車を見る機会はほぼ失われました。

20系寝台車が登場するまでは、客車はほぼどの形式でも自由に組成されていましたが、しかし好き勝手に編成を組んで良いわけではなく、一定の決まりがありました。
つまり、”扉の位置” とか ”食堂車の向き” とか ”寝台車の向き” とかいちいち決まっていたのです。

これらについておさらいしておきたいと思います。(勿論国鉄の場合です)

 

旅客輸送基準規定には、”第4章旅客車 第2節列車の編成” がありその中で次のように定められています。

第31条
旅客車の方向及び列車の編成順序を定めるための各線の基準駅は、別表第1のとおりとし、基準駅に近い方向を基準寄り、遠い方向を基準反対寄りとする。

 別表第1では、路線ごとの基準駅が記されています。

東海道本線・・・神戸
東海道新幹線・・・新神戸
北陸本線・・・米原
高山本線・・・岐阜
中央本線・・・東京
山陽本線・・・門司
山陽新幹線・・・小倉
播但線・・・姫路
山陰本線・・・幡生
関西本線・・・名古屋
紀勢本線・・・亀山
東北本線・・・東京
東北新幹線・・・大宮
上越新幹線・・・大宮
常磐線・・・上野
高崎線・・・大宮
上越線・・・高崎
奥羽本線・・・福島
羽越本線・・・新津
信越本線・・・高崎
総武線・・・東京
予讃本線・・・宇和島
高徳本線・・・徳島
徳島本線・・・徳島
土讃本線・・・終端駅
鹿児島本線・・・鹿児島
鹿児島新幹線・・・博多
長崎本線・・・長崎
久大本線・・・大分
豊肥本線・・・大分
日豊本線・・・鹿児島
筑豊本線・・・若松
函館本線・・・函館
室蘭本線・・・長万部
日高本線・・・分岐駅
留萌本線・・・終端駅
根室本線・・・滝川
宗谷本線・・・旭川
名寄本線・・・遠軽
石北本線・・・新旭川遠軽新旭川 遠軽~網走:網走
繊毛本線・・・東釧路

昭和41年の法令ですから、現在は存在しない路線や、逆にこの表に記載のない路線もあります。開業間もない東海道新幹線はともかくとして、東北新幹線上越新幹線、はては鹿児島新幹線なんて記載があるのを「?」と思った方もいるかもしれませんが「整備新幹線計画」というのがありまして、つまりこの時点でそういう路線が計画されていたからなのでしょう。

で、具体的に車両のどっちを「基準寄り」向きにするかを、第32条で定めています。

32条
旅客車の定位は、原則として、次の各号に定める側を基準寄りの方向に置くものとする。
(1)A寝台車…出入台のある側。但し特急用車両は出入台の無い側。
(2)特別車…片出入台の車両は出入台のある側。但し、特急用車両は出入台の無い側、
両出入台の車両は洗面所のある側又は運転室のある車両は運転室のある側。
(3)A寝台緩急車…車掌室のある側
(4)特別緩急車…車掌室のある側
(5)B寝台車…出入台のある側。但し特急用車両は出入台の無い側。
(6)普通車…片出入台の車両は出入台のある側。但しナハ20スハ44及びスハフ43形式車は出入台の無い側。
両出入台の車両は洗面所のある側。
(7)B寝台緩急車…車掌室の無い側
(8)普通緩急車…車掌室の無い側
(9)食堂車…料理室の無い側
(10)A寝台とB寝台との合造車…A寝台のある側
(11)特別室と普通室との合造車…特別室のある側
(12)食堂と客室との合造車…食堂のある側
(13)客室と荷物室との合造車…荷物室のある側
(14)客室と郵便室との合造車…郵便室のある側
(15)客室と荷物室と郵便室との合造車…荷物室のある側
(16)前各号以外の旅客車…任意

こういう決まりに従って、たとえば特急「つばめ」の下り列車ではスハ44は後位側に、スロ60やナハ10は前位側に出入り口が来るように編成されるのです。

実はナロ20はどちら向きに連結するのか考えていたわけですが(一応模型の座席表現は出入口方向を前位にしている)やはり出入口が(下り列車で仕立てる場合)前位で良かったのですね。

寝台特急あさかぜ(20系時代)

「あさかぜ」といえば、最初に20系寝台客車が導入された列車であり、同時に最後まで20系客車が使用された寝台特急列車でした。

私は既に定期運用からは離脱して、臨時列車「あさかぜ51/52号(のちにあさかぜ81/82号)」として運用されていた時代しかしりませんが、14系や24系と比べて「優雅だなぁ」とデザインに見入っていた記憶があります。

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写真:あさかぜ82号(1987年8月 東京駅)

 この時は既に品川に20系の姿はなく、下関の20系を用いた臨時列車だったと思います。牽引機も下関のEF65PFだったかと。
当時はカマの撮影に凝っていて、普段目にすることの無い ”関ガマ” が来るからと、臨時あさかぜを撮影ました。

さて、話がそれましたが、一番長く20系車両で運行されてきた寝台特急「あさかぜ」の編成履歴を見てゆきたいと思います。

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カニ22時代の品川区20系車番を検証する

さて、カニ22の(品川区配属時の)運用状況が大体わかってきた時点で、模型化に際して車番が気になります。
いままでほとんど気にしてこなかった車番ですが、これだけメーカーがセットで車番を分けて組み込んでくると気になりだしますね(笑

当方の目論見としては、今後パンタ撤去のカニ22編成を導入したいという思惑があるので、昭和40年10月~昭和43年6月の所属車両を見るのが妥当ですね。

ただパンタ撤去編成が入手できるまでは「さくら」として運用したい気もありますし、なんなら「あさかぜ」運用も捨てがたい。

ということで、カニ22が登場した昭和35年から昭和43年までの品川区所属の20系車両について検証してみたいと思います。

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カニ22という車両(その4:品川区での運用)

カニ22の「あさかぜ」運用について編成考察します。

日車夢工房のサイトによると昭和39年から昭和40年10月のダイヤ改正まで「あさかぜ」にもカニ22が充当されていたとあります。

一方で列車編成をつぶさに掲載している「ARC資料館」でも昭和39年10月1日~昭和40年9月30日の「あさかぜ」の電源車はカニ22と記されています。

そこで、この期間(昭和39年10月~昭和40年9月末)の20系4列車の編成を記載しておきます。
・あさかぜ:東京~博多(東京=EF60-500=下関=EF30=門司=ED72=博多)
・さくら:東京~長崎(東京=EF60-500=広島=C62=下関=EF30=門司=ED73=博多=C60=長崎)
はやぶさ:東京~西鹿児島(東京=EF60-500=広島=C62=下関=EF30=門司=ED73=熊本=C61=西鹿児島
・みずほ 東京~熊本(東京=EF60-500=広島=C62=下関=EF30=門司=ED72=博多=C59=熊本)
※「さくら」「はやぶさ」「みずほ」の8~14号車は東京~博多

列車名 あさかぜ
~S40/3/19
あさかぜ
S40/3/20~
さくら はやぶさ みずほ
電源車 カニ22 カニ22 カニ22
カニ21
マニ20
カニ22(51)
カニ22
1号車 ナロネ20 ナロネ20 ナロネ22 ナロネ22 ナロネ21
2号車 ナロネ22 ナロネ22 ナロ20 ナロ20 ナシ20
3号車 ナロネ21 ナロネ21 ナシ20 ナシ20 ナハネ20
4号車 ナロネ21 ナロネ21 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20
5号車 ナロネ21 ナロネ21 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20
6号車 ナロネ21 ナロネ21 ナハネフ21 ナハネ20 ナハネ20
7号車 ナロ20 ナロ20 ナハネ20 ナハネフ21 ナハフ21
8号車 ナシ20 ナシ20 ナハネ20 ナハネ20 ナロネ21
9号車 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20
10号車 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20
11号車 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20
12号車 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20
13号車 ナハ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20
14号車 ナハフ20 ナハフ20 ナハネフ22 ナハネフ22 ナハフ20

この期間中「あさかぜ」のみ若干の編成変更(13号車がハザからハネに変更)がありますが「さくら」「はやぶさ」「みずほ」は同じ編成です。

「さくら」の佐世保乗り入れは昭和40年10月からですので、これまでは「はやぶさ」以外の3列車のカニ22(51番以外)は共通運用だったようです。そして電源車が不足する場合は「さくら」にカニ21を充当したようです。


では昭和40年10月改正後の編成を比べてみましょう。
このダイヤ改正ブルートレインの牽引機はEF60-500からEF65Pに変更になっています。EF65Pにはいわゆる「カニパンスイッチ」がついていますので、全車カニ22を組み込んだ列車の牽引可能です。

昭和40年10月1日~昭和43年6月19日の編成
・あさかぜ:東京~博多(東京=EF65P=下関=EF30=門司=ED76/ED72=博多)
・さくら:東京~長崎・佐世保(東京=EF65P=下関=EF30=門司=ED73/ED75-300=鳥栖DD51=長崎:肥前山口DD51早岐=C11=佐世保
はやぶさ:東京~西鹿児島(東京=EF65P=下関=EF30=門司=ED73/ED75-500=熊本=DD51西鹿児島:上りは熊本=ED72/ED76=門司
・みずほ 東京~熊本(東京=EF65P=下関=EF30=門司=ED73/ED75-300=熊本)
※昭和41年9月30日まで「さくら」の1~7号車は佐世保行き、8~14号車は長崎行き、昭和41年10月1日以降は長崎行と佐世保行を振替
※「はやぶさ」「みずほ」の8~14号車は東京~博多

列車名 あさかぜ さくら はやぶさ みずほ
電源車 カニ21 カニ22(52/53)
カニ21
マニ20
カニ22(51)
カニ22(1-3)
1号車 ナロネ20 ナロネ22 ナロネ22 ナロネ21
2号車 ナロネ22 ナハネ20 ナロ20 ナハネ20
3号車 ナロネ21 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20
4号車 ナロネ21 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20
5号車 ナロネ21 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20
6号車 ナロ20 ナシ20 ナシ20 ナシ20
7号車 ナシ20 ナハネフ21 ナハネフ21 ナハネフ23
     マヤ20    
8号車 ナハネ20 ナハネ20 ナロネ21 ナロネ21
9号車 ナハネ20 ナロネ21 ナハネ20 ナハネ20
10号車 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20
11号車 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20
12号車 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20
13号車 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20
14号車 ナハネフ22 ナハネフ22 ナハネフ22 ナハネフ22

「さくら」の佐世保乗り入れに際しカニ22はMGとパンタグラフの撤去がされます。この工事は52と53に行われました。
したがってこの2両は「さくら」限定で充当され、予備電源車としてカニ21が充当されたものと思われます。残ったパンタ付きのカニ22電源車3両は「みずほ」専用となり「あさかぜ」にはカニ21が充てられます。
こうして6両のカニ22の住み分けが完了しました。 

昭和43年6月20日から4列車とも若干編成が変更となり(食堂車の連結位置が変更となる)そのままヨン・サン・トーのダイヤ改正を迎えます。
この改正(昭和43年10月1日)でカニ22は全車向日町に移転。この時にパンタを搭載していたカニ22 1~3もMGとパンタの撤去が行われました。

 

南海1201形

今更ですが、鉄道コレクションの南海1201形です。

f:id:ef5866:20180228200400j:plainご存知の方は写真をみてお分かりでしょうが、シークレットを含めて全4両を所有しています。

1201×2、1210、1213です。

この車両たちは貴志川線の末期状態をモデルにしていますので、一部車両をシールドビーム等の改造前にしようと考えています。
勿論、21201もつくりますよ。
屋根上の状態がわからなかったのですが、改造用パーツが出ているようですね。入手できそうなので、ようやくチャレンジです。
(入手できなくても実車の状況がわかったので何とかします)