天鉄局とは縁もゆかりもない車両ですが、しばらくカニ22にお付き合いください(笑
この車両を見たのは(いや、実物は一度も見たことがないのだが)多分小学校に上る前。鉄道の絵本だったと思います。
ブルートレインの車両なのに、客車なのにパンタグラフがついた変わった車両があるという印象が強烈に残っています。
その後も、交通科学館などに行った時にカニ22の模型を見たような気がします。
いずれにしても、そんな気になる存在だったカニ22は中学生の時に購入したKATOの旧20系を改造して作成しました。その写真は以前にこのブログでも掲載したとおりです。(その後、尾久回送で転属してゆきましたが・・・)
そして、なんちゃってカニ22を作成して早数十年。いよいよKATOから製品化されたカニ22が入線してきました。(ここまでも以前にブログで記載の通り)
ここで、改めてカニ22という車両について詳しく調べてみることにしました。
なにしろ「はやぶさ」用に誕生した車両ながら、実際には「さくら」に充当され、しかも数年でパンタグラグが撤去されてしまったとかで、KATOからもパンタ撤去後の「さくら」が製品化されたほどですから・・・。
しかし「みずほ」や「あさかぜ」にもパンタ付きカニ22が充当されている写真もネット上で見ることが出来、一体どのような車両だったのだろうかと・・・。
調べてみると、なかなか興味深い車両のようです。(今更w)
カニ22は昭和35年に「はやぶさ」を20系化する際に登場した電源車で、直流電化区間では電動発電機(MG)を使用して電源供給をしようという発想で誕生しました。非電化区間(及び交流区間)ではカニ21と同様のディーゼル発電機で発電します。
しかしディーゼル発電機に加えてMGやパンタグラフを搭載したため自重が59t、荷物燃料満載時には64tとなり線路規格などの制限を受けることが判明。結果、当初予定していた「はやぶさ」での運用は試運転にとどまり、実際には「さくら」で運用されるようになりました。その後、昭和38年の「みずほ」20系化の際に増備されるも、総勢6両の製造にとどまりました。
とまぁ、概略ではこのような説明になりますが、既述の通り実際には「あさかぜ」などにも使用されており、また6両がそれぞれ波乱万丈な人生(車生?)を送っているようなので、それらを記しながらカニ22を連結したどの編成を組むことにするのか検討してみたいと思います。
カニ22も他の20系車両と同様に日本車輌製は1~49番、日立製は51~99番が割り当てられています。
「はやぶさ」用として昭和35年には1・2・51の3両が落成します。
しかし既述の通り「はやぶさ」ではなく「さくら」に充当されることとなりますが、「はやぶさ」の電源車には代わってマニ20が充てられます。
マニ20は3両が製造されていましたが「はやぶさ」の運用は1往復ながら長距離運行のため所要3編成を必要とし、そのため予備電源車としてカニ22-51に白羽の矢が立ちます。しかしそのままのカニ22では「はやぶさ」に使用することが出来ず、MGのみ降ろして自重を軽減して充当したようです。この時パンタグラフについては、将来MGを積み直すことを想定して撤去しなかったようです。
これが「はやぶさ」編成に連結されたカニ22の写真の真相のようで、当然パンタグラフはどの区間であっても上げられていることは無く、またカニ22は51番限定ということになります。
残りのカニ22(1・2)については「さくら」に使用されていたようです。
昭和38年の「みずほ」20系化に際してカニ22は3・52・53の3両が増備されます。この頃までに51番のパンタグラフは撤去されたようです。
つまり、昭和35~38年までは1・2番が「さくら」に、そして51番は「はやぶさ」の予備電源車として使用され「はやぶさ」運用ではパンタグラフが上がることはなかったということのようです。
また、昭和38年にEF60の500番台が登場し、ブルートレインの牽引機はEF58から交代してゆきます。
ちなみにカニ22の牽引に充たるEF58はパンタグラフの降下ボタンなどが取り付けられた、いわゆる特急色と呼ばれる車両に限定されており、後継となるEF60-500にも全車「カニパンスイッチ」が装備されました。
さて、続きはまた次回。