天鉄局NB運転区

国鉄天王寺鉄道管理局で活躍した車両の話題を中心に、鉄道模型(Nゲージ)とBトレインの話題なども記してゆきます。

カニ22 シングルアームパンタ

EF58やEF59、EH10といった一部の旧型電気機関車に、PS22下交差パンタグラフが取り付けられたことがありましたが、それを思い出してちょっと遊んでみました。

f:id:ef5866:20180829173344j:plain

写真はちょっとぶれていますが、カニ22にシングルアームパンタグラフPS33Cを取り付けてみました。

#カニ22 #うそ電

キハ81

天王寺鉄道管理局に所属した車両の履歴を紹介します。

初回は紀勢本線で最後の活躍をしたキハ81系車両から。

 

 

全6両が昭和35年に登場し「はつかり」に充当。やがて新製配置された尾久客車区が受け持つ「つばさ」でも使用されます。
その後、秋田に転属し「いなほ」「ひたち」に運用されます。
そして昭和47年からは天ワカ所属となり「くろしお」で、昭和53年の「くろしお」電車化まで活躍しました。

 

キハ81-1

昭和35年9月15日 落成(帝国車輛):新製配置(尾久)
昭和44年9月28日 尾久→秋田
昭和47年10月1日 秋田→和歌山
昭和51年10月 休車 
昭和52年12月23日 廃車(和歌山)

 

キハ81-2

昭和35年10月31日 落成:新製配置(尾久)
昭和44年10月1日 尾久→秋田
昭和47年10月1日 秋田→和歌山
昭和51年10月 休車
昭和52年12月23日 廃車(和歌山)

 

キハ81-3

昭和35年11月8日 落成(近畿車輛):新製配置(尾久)
昭和44年10月3日 尾久→秋田
昭和47年10月1日 秋田→和歌山
昭和54年10月29日 廃車(和歌山)
昭和55年 交通科学館で保存展示
昭和61年 準鉄道記念物に指定
平成26年4月6日 交通科学館閉館
平成28年4月29日 京都鉄道博物館に展示

 

キハ81-4

昭和35年9月15日 落成:新製配置(尾久)
昭和44年10月1日 尾久→秋田
昭和47年10月1日 秋田→和歌山
昭和51年10月 休車
昭和52年12月23日 廃車(和歌山)

 

キハ81-5

昭和35年10月31日 落成:新製配置(尾久)
昭和44年10月1日 尾久→秋田
昭和47年10月1日 秋田→和歌山
昭和54年7月19日 廃車(和歌山)

 

キハ81-6

昭和35年11月18日 落成:新製配置(尾久)
昭和44年10月1日 尾久→秋田
昭和47年10月1日 秋田→和歌山
昭和51年10月 休車
昭和52年12月23日 廃車(和歌山)

 

 

ナハ20

20系客車は寝台車というイメージが強いのですが、実際にはナロ20やナハ20といった座席車もありました。また最初期はナハフ20だけでナハネフはありませんでしたから、全車寝台とは考えていなかったのでしょうね。

そんな20系ですから、登場からかなりの期間座席車を連結した列車がありました。
(晩年にはナロネ21改造のナハ21という座席車が登場しましたが、それは別のお話・・・)

さて、模型の世界に目を移すとナハ20はKATOでは初期あさかぜセットでしか入手の出来ないレアアイテムでした。
しかし此処で朗報。

KATOから20系ゆうづるはくつるのセットが出ます。「はくるつ」といえばナハ20を連結した最後の列車です。ASSY販売はあるようですから、とりあえずこれでナハ20を確保する必要がありそうです。

ナハ20を確保できると、当方の手持ち20系で組める「あさかぜ」の時代範囲がさらに広がります。特にカニ22時代の「あさかぜ」を組成していますから、その時代範囲が広がるのは嬉しいことですね。

 いっそ、ナハ20を大量増備して、ナロ20、ナハ20、ナシ20と電源車、緩急車だけのオール座席車による20系昼行特急を組んでみるのも面白いかも。

実現していたら、どんな列車に充当されたんでしょうかね??
みなさんは、どんな列車を妄想しますか?

KATO 3061-2 EF65 1000後期形(JR仕様)入線

発売になったKATOの3061-2が入線しました。

今回の入線は、組成中の急行銀河末期仕様の牽引機。
JRマークのないEF65は所属していましたが、他編成の牽引機に充当していることもあり、予約入線となったのです。

f:id:ef5866:20180526225434j:plain

写真は開封直後の写真ですが、撮影後カプラー交換とナンバー取付の整備を完了しています。

ナンバーは1112号機にしました。実際に末期の銀河牽引を行っていますしね。

折角なので3061-1と並べて比較してみました。

f:id:ef5866:20180526225636j:plain

アップにしてみます。f:id:ef5866:20180526225629j:plain

屋根上以外はあまり差がないのかな?

JR無線アンテナが付いたのと、大宮工場標準の黒色屋根ぐらいの相違なんですかね?

昭和53年10月2日ダイヤ改正 その14(広ヒロ・広セキ・門ハイ・鹿カコ)

「ゴーサントー」の特急用寝台客車の配置を記しています。

今回でこのシリーズは(一旦)最後です。
”一旦” というのは、今後もう一度、車両基地単位ではなく、車種単位で再掲しようと考えているからです。

 

今回は、これまでの13回で紹介できていない車両基地、 

広島運転所(広ヒロ)、幡生工場(広セキ)、早岐客貨車区(門ハイ)、鹿児島運転区(鹿カコ)

の所属寝台客車を紹介します。

広島運転所では改正前と変わらず24系「あさかぜ」「瀬戸」の付属編成を受け持っています。

幡生工場(この表現が正しいのかよくわかりません。略号は広セキ、つまり下関です。)では、24系「あさかぜ」「瀬戸」それぞれの基本編成を受け持っています。
20系は定期運用はありませんが、1編成の組成可能な状況でした。

早岐客貨車区では、それまでの14系「あかつき」「日本海」「明星」から、14系「あかつき」へと受け持ちが変わります。それまでの14系車両がすべて転属して、新形式である14系15型が配置されます。

鹿児島運転区では20系を12系と併結させた急行「かいもん」「日南」を受け持っていました。
マニ・ハフ・ハ・ハ・ハフ・ハフ・ハネ・ハネフを4本組成し運用されていました。(マニは50系、ハ・ハフは12系)

それぞれに所属していた車両は下表の通りです。

 

広島運転所(広ヒロ)

24系 オハネ25
162 163 164 165 166 167 168 169 170 171
186 187 194 195 196 197 198 199 200  
19両
オハネフ25
136 137 138 139 140 145 150 151 152 153
10両

 

幡生工場(広セキ)

20系
ナハネ20
127 129 130 137 144 147 148      
                   
7両
ナハネフ23
1 504                
2両
ナシ20
21 25 26 27 28 29        
6両
カヤ21
2 7                
2両
24系
オハネ25
153 154 155 156 157 158 159 160 161 172
174 175 176 177 188 189 190 191 192 193
203 205 207              
23両
オハネフ25
130 131 132 133 134 135 141 142 143 147
148                  
11両
カニ24
103 104 105 106 107 108        
6両

 

早岐客貨車区(門ハイ)

14系 オハネ15
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27 28 29 30
31 32 33 34 35 36 37 38 39 40
41 42                
42両
スハネフ15
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17 18 19 20
21                  
21両


鹿児島運転区(鹿カコ)

20系 ナハネ20
1126 1135 1136 1202 1214 1215        
6両
ナハネフ22
1007 1008 1009 1010 1011 1012        
6両

 

昭和53年10月2日ダイヤ改正 その13(大ムコ・米ヨナ)

「ゴーサントー」の特急用寝台客車の配置を記しています。

東北方面の列車を見てきましたから、今度は関西発着の列車を見てみたいと思います。向日町運転所と米子客貨車区です。

 

向日町運転所では関西発九州方面寝台特急を受け持っていました。改正前は「明星」「彗星」「あかつき」を24系寝台車で受け持っていましたが、この改正で「明星」「彗星」の受け持ちとなり、「あかつき」は14系寝台車となり早岐客貨車区の受け持ちとなりました。

米子客貨車区には20系客車が初めて配置され、12系客車と併結して急行「さんべ」の運用を受け持つことになりました。配置となった20系全車が、12系(スハフ12)から電源供給を受けられるように改造された1000番代もしくは2000番代となっています。*1

所属していた車両は下表の通りです。 

 

向日町運転所(大ムコ)

24系 オハネ25
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27 28 29 30
31 32 33 34 35 36 37 38 39 40
41 42 43 44 45 46 47 48 49 50
51 52 53 54 55 56 173 178 179 180
181 182 183 184 185 201 202 204 206  
69両
オハネフ25
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17 19 20 21
22 23 24 25 26 27 29 144 146 149
154 155 156 157            
34両
カヤ24
1 2 3 4 5 6 7 8    
8両
カニ24
101 102                
2両
カニ25
1                  
1両

 

米子客貨車区(米ヨナ)

20系 ナハネ20
1309 1313 1324 1354 1357 2220 2237 2243 2245 2314
10両
ナハネフ22
1004 1005 1013              
3両
ナハネフ23
1019                  
1両

ナハネ20-1357はS53/12/1にナハネ20-357から改造され転入。 

*1:元番号+1000の車両は12系と直接連結可能、元番号+2000の車両はその中間組込み用。20系電源車から600V電源の供給を受けていたが、12系は440V。また客用扉を12系と一括操作可能な改造等が必要のため。

昭和53年10月2日ダイヤ改正 その12(秋アキ・盛アオ)

「ゴーサントー」の特急用寝台客車の配置を記しています。

東北方面の列車について、前回は尾久客車区を見てみました。
今回は秋田運転区と青森運転所です。

秋田運転区では改正前と変わらず「あけぼの」2往復を受け持っていました。
20系寝台車による
ニ、ロネ、ロネ、ハネ、ハネ、ハネ、ハネ、ハネ、ハネ、ハネ、ハネフ23
という基本編成11両編成4本と
ハネ、ハネフ22
という2両からなる付属編成2本が組成されていました。 

青森運転区ではそれまで「ゆうづる」4往復を24系寝台車で受け持っていましたが、この改正から「ゆうづる」3往復と「日本海」1往復を受け持つようになります。車両は全て24型で
ニ、ロネ、ハネ、ハネ、ハネ、ハネフ、ハネフ、ハネ、ハネ、ハネ、ハネ、ハネフ
という12両編成を8組成と、予備車としてロネ1、ハネ13、カニ1、カヤ2が配置されていました。

所属していた車両は下表の通りです。 

秋田運転区(秋アキ)

20系 ナロネ21
102 106 111 114 125 131 132 133 137 139
140                  
11両
ナハネ20
109 112 128 131 143 145 146 203 204 213
217 218 219 231 240 241 249 301 302 311
320 322 323 325 326 327 328 329 330 331
332 333 334 335 336 337 339      
37両
ナハネフ22
17 18 20 21 22          
5両
ナハネフ23
7 8 13 14 17 502        
6両
カニ21
6 18 25 26 27 124        
6両
カニ22
3 52                
2両

 

青森運転所(盛アオ)

24系

オロネ24

1 2 3 4 5 6 7 8 9  
9両
オハネ24
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27 28 29 30
31 32 33 34 35 36 37 38 39 40
41 42 43 44 45 46 47 48 49 50
51 52 53 54 55 56 57 58 59 60
61 62 63 64 65 66 67      
67両
オハネフ24
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
24両
カヤ24
9 10                
2両
カニ24
1 2 3 4 5 8 19 20 21   
9両
カニ21
3 14 16              
3両
カヤ21
4 5 9 10 12 13 20 21 123  
9両