ゴーサントオのダイヤ改正(昭和53年10月2日)では、それまで上下ともに1号、2号・・・と付されていた列車名を、下り列車は奇数号、上り列車は偶数号の号数を付番することになったダイヤ改正です。
つまり、それまでは特急あずさ上り1号、特急あずさ下り1号が存在していたのに、この改正からは上り列車は1号・3号・・・、下り列車は2号・4号・・・となったのです。
かの有名な「8時丁度のあずさ2号」が新宿駅から出発することはなくなったのです(笑
そんなゴーサントオですが、国鉄発足以来の「列車キロ削減」改正でした。
東海道・山陽新幹線の全線開業(東京~博多)を昭和50年に完了し、様々な輸送体系の見直しが必要となり、大きな転換期を迎えたダイヤ改正でした。
とは言え、寝台急行銀河には大きな変化はなく、相変わらず大ミハの20系寝台車を、[宮]のEF58が牽引する状況でした。
この時期の各車両の所属状況は以下のとおりです。(宮原機関区については昭和54年4月1日現在を記載)
宮原客車区
ナロネ21
121,126,130
ナハネ20
39,40,43,102,105,120,121,122,124,139,142,205,227,228,229,230,233,234,236,304
ナハネフ22
6,15,16
ナハネフ23
2,15,16
カヤ21
8,17,19
宮原機関区
EF58
44~48,53~57,75,76,91~101,125~128,138~140,142~143,146~147,149~150,170~171