天鉄局NB運転区

国鉄天王寺鉄道管理局で活躍した車両の話題を中心に、鉄道模型(Nゲージ)とBトレインの話題なども記してゆきます。

カニ22の「さくら」再販

昨日、カニ22について久々に記事を書いたわけですが・・・

 

KATOからこんな発表が!

 

当区には天鉄局とは関係ありませんがカニ22を擁する20系編成が1本在籍しています。(その他にも20系の編成は3本ほどありますが)

 

 

このカニ22の編成は、一般的には「さくら」、ちょっと変化して「みずほ」というのが定番で、中には「はやぶさ」という方もいるかもしれませんが、当方では「あさかぜ」となっています。実際に「あさかぜ」に充当されていたので。

しかしカニ22といえば、パンタ撤去後に「さくら」に充当された期間があり、当方ではパンタ撤去「さくら」編成を導入したいと思っていました。

 

 

残念ながら前回発売時には入手し損ねまして、時折 ”尾久回送” での出品を睨んでいましたが、出物に巡り遭えず。

それが今回の発表で新車の導入が可能となった訳で。

 

発売は明年4月だそうですが、これは予約ですね。

 

カニ22のパンタグラフ撤去時期

5年少し前のことですが、4回にわたり、カニ22というパンタグラフを持った異色の客車のお話を記しました。

この中(その3)でカニ22のパンタグラフがいつ撤去されたのかに若干言及していますが「あさかぜ」にカニ22が充当されたことの考察の中でのことでしたので、ここに(今更?)改めてカニ22のパンタ撤去の時期を記しておきます。

 

キハ81時代の特急「くろしお」

ディーゼル時代の「くろしお」には、紀伊半島を一周する列車がありました。つまり、名古屋~新宮~天王寺と運行したのです。

現在は新宮(または紀伊勝浦)で分離され、名古屋~新宮(一部紀伊勝浦)を「南紀」、新宮~天王寺~新大阪(一部京都)を「くろしお」と分離されているのは皆さんご存知のとおりです。

 

この運行形態は紀勢西線の電化が完了する昭和53年10月改正まで行われていました。
また、名古屋~天王寺の「くろしお」にはキハ81が充当されていたことでも有名です。

キハ81といえば、日本における特急形気動車のパイオニア
東北本線初の特急「はつかり」の無煙化に貢献した車両でもあります。

最晩年は紀勢本線で活躍していました。

現在は京都鉄道博物館に1両が静態保存されています。

京都鉄道博物館に保存されているキハ81

さて、そんな「くろしお」の運転時刻を見てみましょう。

昭和53年頃の時刻表が手元にないので、少し前の昭和50年3月の時刻表から掲載します。

名古屋~天王寺を運行していたのは下の2つの列車です。

上り特急「くろしお2号」2D

下り特急「くろしお5号」1D

 

 

昭和53年10月のダイヤ改正までは、列車愛称に付く号数は、現在のように下り列車が奇数号、上り列車が偶数号という番号ではなく、上下それぞれに1号から番号が振られていました。

当該のくろしおは、たまたま上り列車が偶数号、下り列車が奇数号ですが、この時代は列車名の前に「上り」「下り」をつけないと、逆向きの列車になってしまうので注意が必要です。(列車番号でわかりますが)

 

下り「くろしお」5号(名古屋~多気

下り「くろしお」5号(多気天王寺

朝9:50に名古屋駅を出発した下り「くろしお」5号は
 四日市 10:25着
 (伊勢線経由)
 津   10:49着
 松阪  11:07発
 多気  11:15着
 尾鷲  12:38着
 熊野市 13:09着
 新宮  13:36着
 紀伊勝浦14:00着
 串本  14:37着
 白浜  15:36着
 紀伊田辺15:49着
 和歌山 17:19着
 天王寺 18:13着
と、8時間20分ほどをかけて走破します。

この長距離を全線乗る人は(鉄道ファンを除いては)皆無であろうと思います。

しかしこの1D下り「くろしお」5号より1時間半ほど前に名古屋駅を出発する901D下り急行「紀州」1号も、同じく名古屋発天王寺行きの列車です。
こちらは急行列車なので、当然特急である「くろしお」よりも所要時間が掛かっており、名古屋を8:19に出発して、天王寺には17:16着と、所要時間は30分余分に掛かっています。

また「くろしお」の約1時間後の10:42に名古屋を出発する急行「紀州」2号も19:44天王寺到着と「くろしお」よりも30分所要時間はかかっています。

とはいえ、このロングラン運転で僅かに特急と30分差の所要時間とはなかなかの健脚と言わざるを得ません。

それより、名古屋~天王寺の列車が3本も続くということは、実際には需要があったのでしょうか・・・(謎
 

逆に上り列車をみてみましょう。

上り「くろしお」2号(天王寺多気

上り「くろしお」2号(多気~名古屋)

上り「くろしお」2号は天王寺を9:10に出発します。
 和歌山  9:59着
 紀伊田辺11:27着
 白浜  11:40着
 串本  12:46着
 紀伊勝浦13:24着
 新宮  13:42着
 熊野市 14:08着
 尾鷲  14:44着
 多気  16:12着
 松阪  16:22発
 津   16:38着
 四日市 17:06着
 名古屋 17:42着
と下りよりは少し時間がかかり8時間20分ほどで走破します。

上りの昼行の天王寺発名古屋行は10:30天王寺発の急行「紀州」5号がもう1本あります。こちらの名古屋到着は19:25分。約9時間の運行です。 

 

なぜこんなロングラン運用だったのか、大変興味のあるところです。


 

特急「はるか」の敦賀延伸

北陸新幹線の金沢~敦賀間延伸に伴い、並行在来線となる北陸本線敦賀~金沢はJR西日本の経営から離れて、石川県部分はIRいしかわ鉄道が、福井県部分はハピラインふくいに移管される予定なのは皆さんご存知の通りです。

そして現在大阪~金沢で運行されているサンダーバードは、大阪~敦賀に短縮されるのも、皆さんご存知の通りです。

特急「はるか」(少し古い写真です・・・)

そこで、敦賀発着の特急列車を関西空港まで延伸してほしいという要望が、北陸3県から出されています。この特急延伸は、特急「はるか」が敦賀まで延伸するのか、特急「サンダーバード」が関空まで延伸するのか、一般利用者にとってはどちらでも良いことでしょうが、鉄道ファン的には大いに興味のあるところです。

そんな、敦賀関空特急の実現に対し、JR西日本の見解が出されました。

 JR西日本は22日、定例の会見を開き、インバウンドに向けて北陸3県の知事が関西国際空港発着の特急列車「はるか」の敦賀延伸を求める中、長谷川一明社長は「現実的には非常に難しい」と否定的な考えを示しました。(11月22日)
 特急「はるか」は、現在関西国際空港と滋賀・京都を結ぶ特急列車で、今月14日に開かれた北陸3県の知事懇談会では、3県が連携して敦賀までの延伸を要望していくことで一致していました。
 難しいと現時点で否定的な判断をした長谷川社長は「インバウンドの利用客を北陸にダイレクトにという趣旨かと想像するが、列車を延伸することで、ダイレクトに行くということではないと思う」と話したうえで、敦賀から京阪神を経由すれば列車の編成も長くなり、安全輸送には非常にリスクがあることから、利用実態や輸送面からみても困難だと説明しました。

 

いまいちよくわからないのは
> 敦賀から京阪神を経由すれば列車の編成も長くなり
というところで、現在最大9両編成の「はるか」を12両にでもするつもりなんでしょうか?

「はるか」の281系や271系は野洲までしか定期列車では乗り入れがありません。
また(1列車の編成両数を増やさなくても)車両数的にも敦賀延伸となれば厳しいでしょう。

一方で「サンダーバード」の681系や683系は余剰になるでしょうから、こちらを関空に入線させれば・・・。
日根野から空港線への乗り入れ実績は多分ないでしょうが・・・。

先日転載した特急「きのくに」の実現にも少なからず影響のありそうなお話です。


 

モジュールレイアウトの規格(その2)

念願のモジュールレイアウトの作成記です。

 

規格が決まり、ベース素材も決まったので、早速試作にかかりました。

前回のお話はこちら。


台枠の高さに悩みましたが、とりあえずは10cmで。

スタイロフォームで3cmとかも目にしますし、5cmくらいの規格も多いようですが、立体交差などを標準に組み入れようとするとどうしても10cmくらい欲しくなります。

という訳で、一旦つくってみました。

 

じゃん!

 

真上からだけしか撮影しなかった(汗

台枠は9mm厚さの杉板を組んだ右側と、側面のみ9mm厚さのベニヤ合板を釘打ちした左側の2種類の構造を試しています。

 

思っていたより高さにボリュームがあるので、保存に不便そう・・・。

高さについてはもう少し検討します。

 

特急「きのくに」誕生??

来春のJRグループダイヤ改正について、面白い憶測をしている人がいましたので取り上げます。

 


天鉄局関係でいうならば、

 

特急「くろしお」の新宮乗り入れを中止し
白浜駅で「くろしお」号に接続して特急「きのくに」を新設

これは、283系オーシャンアロー)という車両が
老朽化していること、
白浜ー新宮間が特に乗客の減少が大きいこと、
またその赤字額が大きいことから予想しました。

現在は、同区間6両編成で運行していますが、
「きのくに」号は3両編成です。
283系の3両編成は多客期増結用なので
6両編成より走行距離は短めです。

また、足りない分は一部北陸で余った、
681系の3両編成(特にリニューアル済車両)を活用します。

 

が興味を惹くところです。

「きのくに」といえば、かつて紀勢本線で走っていた急行。

 

このブログでも何度か取り上げています。

 

そんな「きのくに」の名前が復活するかもという憶測。

憶測なのか、妄想の域なのか。

 

果たして白浜~新宮という特急運用はどうなのか?

運用はどうするのか?

車両の留置はどうなるのか?

 

いろいろと気になることはありますが、楽しい妄想です。

 

 

大昔は名古屋~天王寺という紀伊半島1周の特急「くろしお」が走っていましたし、

新宮発~和歌山経由~名古屋行きという謎の急行「しらはま1号」もありました。

しらはま1号については、上記リンク先「紀伊半島を巡る多層建て急行」をご覧ください。

 

「国鉄型電気機関車」の記憶

東洋経済新聞のWEB版に

 

ブルトレから貨物まで「国鉄電気機関車」の記憶静かに消えゆく、日本の発展を支えた力持ち

 

という記事がありました。

 

4ページ亘って記事が書かれており、各ページに2~4枚の写真が掲載されています。

見出しだけ見ていると、EF65PFやEF66、EF81、EF64 1000などの写真が掲載されていると思いがちですがさにあらず。

 

そもそもトップに挙げられている写真は、サムネイルにもあるようにEF58。

しかもよく見ると後方の客車は10系寝台車。

もしやと思い説明を見ると、やはり急行「銀河」。

20系時代もあったのに、よもやの10系時代の写真です。

 

他の写真もEF15やらED70、EH10、果てはEF55(復活前の!)など、昭和前期~中期の写真が満載です。

 

急行「はまなす」の廃止で機関車牽引の定期旅客列車の運用がなくなり、一般人にはどんどん縁遠くなっている客車列車。

一方でまだまだ機関車牽引が主流の貨物列車も縮小や、国鉄時代の機関車は老朽化のため次々と引退をしています。

 

小学校時代にブルトレブームを過ごし、EF65Pがいつの間にかEF65PFに代わり、夢想していたEF66ブルートレイン牽引が現実となったことに感激したり、最後の活躍をしていたデッキつき電気機関車がいつのまにかいなくなっていたことに寂しさを感じたり、していた私には懐かしい写真がいっぱいでした。