天鉄局NB運転区

国鉄天王寺鉄道管理局で活躍した車両の話題を中心に、鉄道模型(Nゲージ)とBトレインの話題なども記してゆきます。

東京発 和歌山市駅行

現在、東京から和歌山へ直通運転している列車は走っていません。

昭和59年2月のダイヤ改正までは、東京~紀伊勝浦寝台特急紀伊」という列車が走っていたことを知っている方もいるかと思います。

しかしこの列車は名古屋まで寝台特急「いなば」(後に「出雲3・2号」)に併結され、しかも名古屋からは紀勢本線紀勢東線:亀山~多気経由)で紀伊勝浦まで運行された列車で、和歌山県県都である和歌山市には乗り入れていませんでした。

この「紀伊」の前身は、東京~鳥羽の「伊勢」、東京~新宮の「那智」、東京~湊町の「大和」が統合して昭和43年10月のダイヤ改正で誕生した列車です。

急行「大和」は、それまでに運行されていた東京~湊町・鳥羽の列車に昭和25年に列車名が附せられたもので、昭和37年3月にはこの列車に東京~和歌山市を運行する2等寝台車1両が併結され、王子駅から普通列車に併結されて和歌山線経由で和歌山市駅に到着するという運行がなされました。

たった1両ながら、東京~和歌山市を直通する列車(客車)が運行されていたという状況は需要として果たしてどうであったのか気になるところですが、運行経路も含めて興味深いので、昭和39年10月の東海道新幹線開業時の時刻表から、この列車の運行ダイヤを拾ってみました。

 

まずは下り列車から。

東京~豊橋

東京駅を22:45に出発しますが入線は22:15と出発まで30分あります。現代では考えられない状況ですが、ブルートレイン全盛期でも出発前にしっかりと時間がありましたから私の世代にはそれほど珍しく感じないかもしれません。

ページの都合で写っていませんが、この列車の出発前には「明星」「金星」「月光」と3本連続で大阪行の寝台急行が発車していますし、その前に「瀬戸」を挟んで当時は神戸まで足を伸ばしていた「銀河」も出発しています。大阪方面の夜行列車の後、東京発の最終の夜行列車が「大和・伊勢」だったようです。

豊橋~名古屋

名古屋に到着すると関西本線を運行されるため、進行方向が変わります。早朝5時半頃の到着ですから、名古屋方面への夜行列車という機能も持っていたのでしょうね。名古屋駅での機関車付け替えの停車時間は12分です。

名古屋~王寺

名古屋を出発した列車は亀山で「伊勢」を分割します。「伊勢」はここで再び進行方向を変えて紀勢本線に入り、更に多気から参宮線を進んで終点の鳥羽に到着します。鳥羽駅には8時45分の到着。時刻表は割愛しましたが途中の伊勢市駅には8時23分の到着ですから、東京からのお伊勢参りには最適な列車だったかもしれません。現在では近畿日本鉄道が天下の伊勢行路ですが、東京~伊勢の夜行列車は運行すれば需要はあるかもしれないですね。

一方の「大和」は関西本線をそのまま進み、終点の湊町には9時16分に到着します。途中の王寺には8時40分に到着し、和歌山市駅行の寝台車1両を分割します。

王寺~和歌山市

王寺で「大和」から切り離された和歌山市駅行の寝台車は普通列車に併結されて和歌山線を運行します。王寺駅での停車時間は10分。王寺からは各駅停車で進みますから、和歌山市駅の到着は11時30分になっています。

ちなみに、湊町行の「大和」にそのまま乗車していると、天王寺到着が9時4分。天王寺から9時30分に出発する白浜口行(現在の白浜駅)急行「第1きのくに」は東和歌山(現在の和歌山駅)に10時21分到着なので、和歌山市駅と東和歌山駅と若干到着地が異なりますが、1時間以上も早く到着できます。

 

前夜22時45分に東京駅を出発して、和歌山市駅に乗り換え無しで翌日11時30分に到着する列車にどれほどの需要があったのか、少々疑問ですね。

開業したばかりの新幹線は東京~新大阪を4時間かけて走っていますから、始発の下り新幹線(6時東京駅発)に乗っても新大阪到着は10時。ここから新大阪~大阪~天王寺~東和歌山と乗り換えながら移動して11時30分に到着することは難しいでしょう。

しかし先程記したように「大和」に天王寺まで乗って「きのくに」に乗り換えれば10時半頃に和歌山に到着します。せめて和歌山線内のスピードアップが計れなくては厳しい列車だったのでは無いでしょうか?

 

次回は上り列車について見てみたいと思います。